好きなこと×キャリア転換のモヤモヤ! 浪人・転職経験からたどり着いた、“長く続けられる仕事”
好きな歴史の知識を深めようと大学の史学科を受験するも、不合格が続き志望を変更。2浪を経て入学した大学での生活は楽しかったものの、就職氷河期の影響で内定をもらえず、アルバイトから社会人スタートしたKさん。その後も様々な壁に当たりましたが、“ほかに好きなことは何か”と視点を変えることで乗り越えてきました。Kさんが実践してきた“可能性の広げ方”とは?
PROFILE
K.Tさん
49歳
大阪府出身。史学科から社会学部へ志望変更し、京都府内の大学に進学。就職氷河期の影響で就職先が決まらず、在学中から始めた釣り雑誌編集部でのアルバイトを卒業後も継続。その後、正社員として営業職に就くも、業務内容が合わず退職。Webデザイナーを養成するスクールへ通ってスキルを磨き、いくつかの制作会社で経験を積む。現在はグラフィックデザイナーとして、広告制作会社に勤務。妻、大学生の長女、高校生の長男と4人暮らし。

“挫折”ではなく、“視野を広げるための転換点”
好きなことを軸に見つけた新しい学びの道
Kさんが歴史を好きになったきっかけを教えてください。
歴史の授業が始まるのは、小学校の高学年からなんですよね。歴史の授業って、時代ごとにぶつ切りになることもあると思うんですけど、当時の担任の先生は一連のストーリーとして見せてくれるからおもしろかったんです。授業は今でいうワークショップのような、班ごとに調べて発表する形式で、すごく楽しくて。歴史もののゲームが好きということもあり、少しずつ歴史に興味を持ち始めました。
そこから日本史や西洋史などを探求し、大学受験は史学科を志望されました。何かやりたいことがあったのでしょうか。
歴史的背景を学んだ上で、歴史の残っている街を実際に訪れてみたいと思っていました。史学を仕事にする、ということまでは考えていなかったですね。関西圏から出るつもりがなかったので、志望校を関西の私立に絞ったのですが、史学科のある大学が少ない上に、どこも偏差値が中堅以上で……。高校3年生のときは、そういうことをよく調べないまま受験しちゃったんです。翌年も不合格になって、2浪しました。
そこから3度目の大学受験で志望学部を変えたのはなぜですか?
浪人1年目のとき、通っていた予備校に「チューター」と呼ばれている相談役みたいな先生がいて、「学科を縛らなかったらどんな大学でも行けるのに」と言われたんです。でも、そのときは素直に聞けなくて、「いや俺は史学に行きたいんだ!」ってケンカしたんです(笑)。それで、史学科縛りで受けたら、4点足りなくて不合格だったんですね。そのことがあって、“史学にこだわらなくてもいいのかな……”と思い始めました。ただ、ずっと歴史を追っていたので、全く興味のない学部には行きたくなくて。“歴史的な観点で学ぶことができる学問は何だろう?”と考えたら社会学があったんです。まだ教科書に載っていないだけで、“現在”も過去からつながった歴史の一部だということに気づきました。そこから社会学部のある大学も志望校に入れたら、合格できました。それは挫折や諦めではなく、こだわりを捨てて、興味の方向を変え、視野を広げた結果だと思っています。
社会学部に入学されて、大学生活はいかがでしたか?
2浪して入学したので、同級生はだいたい年下、最初の半年間くらいは気まずさや居心地の悪さみたいなものを感じていました。でも、いつの間にかまわりと打ち解けて、一緒に騒げる友達もできましたし、かわいがってくれるゼミの先生にも出会いました。あらためて、社会学って本当におもしろい勉強なんだと思いましたね。望んでいた知識がいくらでも手に入る日々でした。
でも、私が就職活動に入る前年度から就職氷河期に入ってしまって、ぜんぜん求人がなかったんです。こだわりや希望を持っていたら就職できない状況だったので、職種を問わず説明会に行って、少しでも興味のある企業があれば試験を受けに行っていました。それなのに、どこからも内定をもらえず……。一緒に試験を受けた友達が内定をもらって、私が落ちたこともありました。
「長く続けられる仕事をゆっくり見つけて」
焦る気持ちを落ち着かせた母の言葉
就職先が決まらないまま大学を卒業することについて、当時の心境を聞かせてください。
それはもう、“どないしたらええんやろう?”と不安でした。当時、社会学の勉強のほかに趣味で釣りをやっていて、ゼミの卒論のテーマにブラックバスの「害魚論」を選んでいたんですね。4年生の2月頃になって、“このままだとまずい”と追い詰められて、釣りの業界誌の編集部に電話をかけて「働かせてください」と直談判したんです。「アルバイトだったらいいよ」と採用してもらえて、とりあえず卒業後の居場所は見つけました。
でも、3月に大学を卒業したあと、9月にその編集部を辞めたんです。週刊誌なので休みが日曜日しかなくて、祝日も働かなきゃいけないことがもうしんどくて。あと、趣味を仕事にできて最高だと思っていたんですけど、実はすごく辛かった。仕事になったことで逃げ場がなくなってしまって、大好きな釣りが大嫌いになっていくんですよ。一番好きなことを仕事にしてずっと続けられる人はすごいなと思いましたね。
編集部のアルバイトを辞めたあとは、どうされたんですか?
しばらくアルバイトでつないでいたんですけど、母親が胃潰瘍で吐血して倒れてしまいまして。うちの親は、浪人時代から私に対しての口出しを一切せず、2年間にわたって私の挑戦を金銭面でも支えてくれたんです。それで、“母が倒れたのは私のせいだ”と思って、とりあえずどこかに就職しようと、広告代理店の営業職に就いたんです。でも、営業の職種が合わなくて、3ヵ月ぐらいで心が折れました。
そのときに母から「私が倒れたから、やりたくない仕事を始めたんでしょ?そんなことで就職しても続けられるわけがないよ」と言われて。もう図星なんですよね。「あなたのせいで倒れたわけじゃないから、長く続けられる仕事をゆっくり探してみなさい」と言ってくれました。
子どもを信じて見守る、素敵なお母さまですね。その助言を受けて、Webデザインを勉強しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
当時、ホームページを自分で作れるアプリケーションが出始めて、自分で釣りのホームページを作っていたんです。それを仕事にしてみようと、Webデザイナーを養成するスクールに半年間通いました。卒業後はデザイン系の求人を受けまくって、看板や名刺、メニュー表などを作る店舗のオープニングスタッフに採用されました。主に紙媒体のデザインを担当していたんですけど、そのお店は1年で閉店してしまいました。
その後は、プランニング会社に転職して7年間勤務しました。ショッピングモールの広告宣伝用キービジュアルを制作する仕事をしていたのですが、事業統一による人員整理があって、退職を余儀なくされました。
突然仕事を失うことになって、大変でしたね。
そのときは36歳で結婚もしていましたし、ローンを組んでマンションを買っていて、上の子が4歳くらいで、下の子が生まれて間もなくだったと思います。もう、“どないしよう……”ですよね。その日、会社からどうやって帰宅したのか覚えていません。そこからまた転職先を見つけ、2つのデザイン事務所を経て、38歳のときにクリエイター向け求人サイトで今の職場を見つけました。現在は、紙媒体メインのデザインチームで、サブリーダー的な役割に就いていて、今年で勤続11年目です。
一人で頑張りすぎなくていい。
人とのつながりが支えてくれた
転職を重ねながら、デザイナーを20年以上続けられていますね。Kさんにとってデザインのおもしろさとは?
自分がどんなものを作れたのか、何が進歩したのか、目に見えて分かるところですね。作ったものの良し悪しがお客さんの反応でわかるじゃないですか。例えば、去年できなかったデザインが今年はできる。以前「イメージと違う」とお客さんに突っぱねられても、次のプレゼンで、「こういうデザインを待っていたよ」と受け入れてもらえる。そういう前進を明確に感じられるから続いているのかなと思います。私は単純な人間なんでしょうね(笑)。
これまで様々な人生の岐路に立ってきたKさん。進路を決める上で大切にしていることを教えてください。
“自分には何ができるか”、“自分は何に興味が向いているか”ということです。私は、まったく興味のないものに対しては何もできないので、仕事とプライベートを割り切れるほど器用な人間ではないんでしょうね。でも、一番好きなことを仕事にするとしんどくなることが分かったので、2番目、3番目に好きなことに目を向ける。要するに、自分にとって可能性のあることを追いかけるけど、それを仕事にするかどうかを見極めることは必要、ということです。
今、自分の子どもたちが大学生と高校生で、将来のことを考える時期なんです。2人には、「自分に何ができるのか、常に可能性を考えておきなさい。私は親として、あなたたちの可能性を潰さないようにします」と言っています。
これまでの紆余曲折のなかで、モチベーションを保てた秘訣はありますか?
まわりの人の支えじゃないですかね。自分1人だったらたぶん悩んだまま動けなかったと思います。特に妻には本当に頭が上がらないです。“物事は良くなる方にしか行かない”と常に思っている人なので、私のことを責めたり、過剰に心配したりすることがない。強い人なんですよ。人員整理で退職したときも、妻は「できるよ、大丈夫よ、良くなるよ」とずっと言ってくれました。
それから、デザイン業界にいる人たちが好きなんです。うちの会社にも、デザイナー、ライター、Webディレクター、いろんな人がいますけど、全員おもしろいです。その人たちがいなかったら、くじけていたかもしれません。人間は1人じゃ何もできない。助けてもらうことが嫌とか申し訳ないとか思わずに、必要な時は素直にだれかに頼ることができれば、可能性が見えてくるのではないかと思います。