憧れの仕事×就職活動のモヤモヤ! 希望企業から内定をもらえず、流れ流れてたどり着いた想定外の現在地
新卒入社するもコロナ禍で、大好きな営業ワークがなくなった。なんのために働いているのだろう……と葛藤するようになったMさん。そのとき、浮かんだ2つの選択肢。あきらめきれない夢にもう一度チャレンジするのか。それとも、住んでみたい土地に移住するのか。移住と転職を重ねて、「流れ流れて」たどり着いた3つ目の今の夢は、本人も予想していなかったものでした。
PROFILE
M.Gさん
30歳
東京都八王子生まれ。新卒で文房具の仲卸会社に就職し、ルート営業を担当。2年後、山口県萩市の地域おこし協力隊として移住。地域と学校をつなぐ社会教育関連の仕事の面白さを知る。2024年、社会教育に携わる機会が多い東京にリターン。社会教育施設の企画運営を経て、今春から社会教育主事として正規雇用される。特技はギターの弾き語り。愛読書は漫画「三丁目の夕日」。

憧れの仕事の“原点”は文房具。
挫折の末に見つけた天職をコロナ禍が襲う
大学卒業後、新卒で文房具の問屋に入社したそうですね。
そうなんです。最初は漫画の編集者になりたくて、就職活動では出版社ばかり受けていたんですけど、“丸腰で体当たり”している状態でした。当時の僕は編集や出版に関する専門知識や実務経験を何も持っていないまま、ただ“面白い人と働きたい!”という漠然とした情熱と憧れだけで、狭き門である出版社の門を叩き続けていたんです。結果はボロボロで、大きな挫折を感じました。しかし、どうにか働き先を見つけたい。そう思ったときに初めて、“そもそもなぜ出版の世界を自分は目指しているんだっけ?”と改めて考えたんです。振り返ってみると、小学生の頃はサッカー選手か詩人になりたくて、中学生ではミュージシャンになるのが夢でした。自分は広い意味で文化や芸術に関わる仕事がしたい。その文化芸術が何から生まれてるかをさらに掘り下げると、すべての始まりはペンやノートなどの文房具ではないか!?と気づいたんです。文房具がアーティストの元に渡って、そこから文化や芸術が生まれるという流れが想像できたので、これはやりがいを持って働けるのではないかと思いました。そこで文房具関連の企業を受け始め、大学4年の秋に仲卸の会社から内定を頂きました。
文房具の会社では、どんな仕事をしていましたか。
ルート営業です。お得意さまの注文を取りに行ったり、新商品が出たら紹介しに行ったり。上司からは、「最初は商売の話ができなくてもいいから、マメにお店に顔出しな」と言われました。僕は、もともと人と会ってしゃべるのがすごく好きで。FACE to FACEで関係性をつくったからこそ得られた仕事や人間関係があり、すごく楽しかったです。当時、得意先の文具店の店長さんが、「仕事の中で、1つでもいいから楽しめるものを見つけたら、それが支えになる」という言葉をくれたんです。僕にとっての“1つ”は、まさに人と会って話すこと。専務の言葉ともつながりました。
営業は、ある意味天職だったんですね。2年で退職したのはなぜですか。
コロナ禍がきっかけです。直接お伝えしていた新商品の情報も、ファクスかメールか電話に。今までやりがいを感じていた、“人と会って話をする”という部分が完全になくなったんです。営業で外に出ていたときには気付きませんでしたが、一日中会社でパソコンと向き合いながら仕事をするということは、想像よりも息苦しいものでした。心が晴れない日々の中、逆に衛生関連の商材はみるみる売れ、会社全体の業績は上がっていきました。でも、自分は“お金を稼ぐことに楽しさを見いだしてたわけじゃないんだよな……”という思いが積み重なり、環境を変えたいと思うようになりました。もう一度、漫画の編集者を目指すか、どこか地方に移住して仕事を見つけるか。新しい環境への希望を抱きつつ、今ある仕事はモチベーションが低いまま続けなくてはいけない状況で、社会人2年目の1年間は、しょっちゅうみぞおちが痛くなっていましたね。会社で、仲良くしていただいた方への申し訳なさみたいなものも大きかったです。
「場所」で選んだ移住。
飛び込んだ海の街で見つけた、新しいキャリア
転職活動は、どのような業界を受けたのですか?
諦めきれなかった漫画編集の仕事を目指し、もう一度出版社を受けました。面白い漫画をいっぱい出している1社に、最終面接まで残りましたが、駄目で。新卒の就活のときは“丸腰で体当たり”だったので、現実的に無理だと諦めもついたんですが、このときは、あともう少しというところまで行ったので、また全然違う種類の悔しさがありましたね……。落ち込む気持ちから一歩引いて、気持ちを切り替えるまでには、正直何日かかかったと思います。
そのときに救いになったのは、自分の仕事をする上での軸です。漫画編集が無理なら、“行きたいところに行って、そこで仕事をする”いう、別の軸に焦点を当てることにしました。やりたい仕事に就けるならもちろんいいですが、それが達成されなくても人生は終わらないんですよね。だから、“望んだ形ではないけれども、どうにか楽しんでやろう!”という思いが生み出したのがこの選択肢だったんだと思います。地元が内陸の盆地なので、“一度海の近くで暮らしてみたいなあ”と思いながら移住サイトなどを見ていたところ、山口県萩市が地域おこし協力隊を募集しているのを見つけ、応募しご縁をいただきました。
地元八王子から遠く離れた山口県で暮らすことになり、どう人間関係を築きましたか?
知り合いがいない環境で、どうやって人とのつながりを広げていこうかを考え、引っ越す前にライブハウスを探したんですよ。大学時代も弾き語りサークルに入っていて、僕にとっては人と出会うとき、先立つものが音楽だったので。早々に、萩市に1軒だけあるライブハウスに行って、オープンマイク(飛び込みでライブができるイベント)に参加したんです。そこで出会った方とは、年齢を超えて仲良くなりました。
生活は激変しましたね。まず、東京にいたときは通勤に片道1時間半かかっていたので、勤務先まで自転車で約10分になり、考えたり学んだりする時間を取れるようになったんです。QOL(生活の質)、リアルに上がるな!って。週4勤務でしたが、控除と家賃補助が出ていたので、実質手取りは営業をやっていたときと同じぐらい。休日は、家の真ん前の海へ。スーパーで見切り品になったアジフライなんかを買って、浜辺でお酒を飲んで……。季節や時間に関係なく海を満喫していました。
前職とはまったく異なる仕事は、どうでしたか?
大学時代に、地域社会学を学んでいたんです。それが少しは役立った部分があるかなと思っています。現地では、県立の専門系の高校で、「地域連携サポーター」という名前で働いていました。高校生が町の課題を見つけて取り組む「課題研究」のテーマ探しから、そのテーマに応じ、サポートできる地域の人を探し、つなげる仕事です。例えば、防災をテーマに課題研究をしたときは、市役所の担当者を学校につなげ、その研究成果を市にプレゼンするという一連の連絡と調整を担当しました。
非常に充実した職場・生活のように感じますが、悩むことはありましたか?
地域おこし協力隊として会計年度任用職員という枠で採用いただいたので、満期が3年なんです。その限られた期間の中で、地域の方と関係性を築いて、その先の仕事を見つけられなかったら離れなきゃいけないっていう、プレッシャーは地味にありましたね。
社会教育に関わる仕事をする中で、市の社会教育主事の方に「社会教育主事の講習を受けに行かないか」と声をかけていただいたんですよ。当時は“社会教育とはなんぞや”と、ぼんやりしていたんですけど、その頃から、仕事の面白さを実感するようになって。物の売り買いというビジネスじゃなく、町の人としゃべって仲間になりながら仕事ができ、生業になるのはすごくいいぞ……!と思って。そこで“社会教育主事”の資格を取得したのは、ターニングポイントでしたね。
やりがいも生きがいも見出した萩市から、東京に戻ったのはなぜでしょうか?
社会教育の現場でキャリアを積みたいと思ったとき、地方では未経験の自分が入っていくことに限界があると感じたからです。それに比べて東京では、生涯学習施設などで運営を外部に委託する自治体が増えているので、転職できる可能性が多いと考えました。それで東京に戻ることを決意し、「社会教育」というキーワードで転職サイトを徹底的に調べて仕事を探しました。
「面白いものを作りたい」から、
「面白いものを作る人を育てたい」へ
2024年から都内の社会教育施設で企画運営に携わり、現在、「社会教育主事」になった経緯は?
萩市から東京に戻ってきてからの1年間は、指定管理者制度を導入している都内の社会教育施設で、生涯学習講座の企画作りなどに携わりました。ここでの経験を通して、社会教育の仕事の楽しさを改めて実感しました。
ただ、指定管理の仕事は数年で運営元が変わる可能性があるのと、異動の可能性も高いことで長期的に地域に根を張って関わり続けることが難しいな、と感じてしまって。そこで、正規職員として社会教育の専門職を募集している自治体を探し始めたところ、営業時代に土地勘のあった区が社会教育主事を正規職員として独自採用していることを知ったんです。迷わず応募して、ありがたいことに採用されました。
新たな町、新たな職場で今は、どのような生活でしょうか?
地域の人たちに、「僕、あそこの文房具屋さんに、営業時代よく行ってたんです」っていう話をすると、「そうなんだ!」とちょっと心を開いてもらえます。
この夏は、同期と一緒に阿波踊りも始めました。サークルに入ることで新たな人との出会いがあるし、そこからさらにいろんな人とつながる可能性を感じています。
もし、神様が今どんな願いもかなえてくれるなら、サッカー選手、詩人、ミュージシャン、漫画編集……何になりますか?
いやあ〜(笑)。どうしよう。受からせてくれるんだったら、最終面接まで行った出版社で漫画を編集している自分も見てみたいかな。でも、今はっきり言えることがあります。自分自身が面白いことをするよりも、面白いことや、面白いものを作り出す人を育てたい、ということです。僕にとっては社会教育はそこが一番の醍醐味だし、この仕事は、僕が長く続けていきたいと思えた仕事です。
振り返ると、学んできたことや経験が、結果的に無駄にならないルートをうまいこと選んでいるのかもしれないですね。丸腰だったあの頃とは違って、“今の自分の言葉で、なりたい理由を説明できる”道を選んでいけていることを感じています。自分の軸が何なのか、時間をかけて考えたからこそ、今ここにたどり着くことができたんだと思います。流れ流れて、まったく想像もしてなかったところにいるんですが、この先、さらに楽しくなる予感がしています。