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みんなの人生ピカっとのぞき見! Vol. 10

女性管理職×ジェンダーの壁のモヤモヤ! 25歳・女性管理職が、現場で直面する性別と年齢の壁

高校時代、生徒会長を志すも「会長は男性に」と、やむをえず副会長に。社会人になってからは、営業先から「年上の男性担当者に替えてほしい」と求められた。それでもHさんは環境のせいにせず、自分なりのやり方で道を切り開いてきました。“出る杭は打たれるけど、出すぎた杭は打たれない”という母の言葉を胸に、自分らしい生き方を貫いています。

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PROFILE

H.Aさん

25歳

東京の大学を卒業後、コンサルタントとして都内の会社に就職。入社3年目にして営業企画課の係長に抜擢され、大企業向けセールスの拡大をミッションに、チームリーダーとして奮闘中。プライベートは、ピアノ、ゲーム、キックボクシング、キャラクターグッズの収集と、多彩な趣味で充実した日々を過ごしている。

“女性だから”と押し付けられて感じた理不尽さ 
その悔しさをバネに学んだ立ち回り方

新卒で入社して3年目ながら、すでに係長というポジションでご活躍されているそうですね。具体的にはどんなお仕事をしているのか教えてください。

営業企画課の係長を務めています。2025年3月に立ち上がったばかりの新しい部署で、目的は大企業向けセールスの拡大。そのために、営業という手段だけに頼らず、情報収集やマーケティングを含めた仕組みづくりを担当しています。チームは私を含めて4人編成で、男女2名ずつ。1学年下の男性が2人、同学年の女性が1人という構成です。ほどよい距離感で、なれ合いすぎないけれど連携はよい──そんな雰囲気です。

25歳での抜擢は、周囲からの注目も大きかったと思いますが、反対に悩んだり、戸惑ったりした経験はありませんでしたか?

入社1年目のとき、モヤモヤする経験をしましたね。当時はフィールドセールスをやっていたのですが、営業先で「担当を年上の男性に変えてほしい」と言われたことがありました。理由は、「若い女性よりも年上の男性からコンサルされた方が、説得力があるから」というもの。提案の内容に不満があったわけではなく、ただ“若手女性”という理由だけで否定されたことに、正直ショックを受けました。だって、私はどんなに頑張っても、年上男性にはなれないですから。

性別と年齢が理由とは、納得しづらいですよね。それは、すぐに受け止められたんですか。

もちろん最初は悔しかったです。でも、相手の立場に立って考えると、不安を感じる理由も理解できたんです。だから、私1人で戦うのではなく“組織として勝つ”方向に切り替えました。上司に相談し、役員と一緒に営業に行くことにしたんです。表向きには役員が責任者という形にし、実際の戦略は私が立てて、上司に実行してもらう“2段構え”の体制にしました。遠回りのように見えて、結果的に信頼を得られ、提案も通りやすくなりました。個人として成果を出しながら、チーム全体の結果につなげられたのは大きな学びでしたね。

理不尽な状況に遭遇しても、すぐに物事の見方を変えて、別の一手を考えられるのは素晴らしいですね。もともと前向きな性格なのでしょうか?

実は、過去にも似たような経験をしたことがあるんです。私は昔からやったことがないことに挑戦するのが好きで、弁論大会に出たり、委員会などの役員にも積極的に手を挙げるタイプでした。女子バスケ部ではキャプテンを務めましたが、生徒会では副会長、応援団では副団長。男女が一緒になる場面では、なかなか女子がトップに立つことが難しく、 “副”という立場だったんです。しかも生徒会長に至っては、立候補者は私を含めて女子2人だったにもかかわらず、なぜか男子に決まりました。伝統を重んじる校風だったこともあるかもしれませんが、性別だけで判断されるのが本当に悔しくて。納得できず、先生方4人に交渉しに行きました。結果的に私は“副”というサブリーダーのままでしたが、下の代の体育祭では、女子の応援団長が誕生したんです。私の思いを学校側がくんでくれたんだと感じて、“自分の行動は無駄じゃなかったのかも”と、報われた気持ちでした。自分が声を上げたことが、少しでも変化のきっかけになったならうれしい。それが、今の私の原動力になっています。

母譲りのバイタリティとコミュニケーション力。
“出すぎた杭は打たれない”マインドを培った子ども時代

Hさんが、学生時代から活発なお子さんだったことがわかります。そもそも、なぜそんな行動力があるのですか?

母の影響が大きいと思います。私の母は、地元・宮崎から、キャリーケース一つで上京してきたバイタリティあふれる人。強く、しなやかに自分の人生を切り開く姿を見て育ったので、その芯の強さは私にも受け継がれていると感じます。

お母さま譲りなんですね。改めて、どんな子ども時代だったのか、生まれ育った環境を教えてください。

生まれは東京ですが、5歳で大阪、11歳で宮崎に移りました。そして、大学進学で上京する前まで、母と私の2人暮らしでした。母は飲食店を経営していて、小さい頃から母の背中を見て育ってきました。自然とコミュニケーションの取り方や人を楽しませること、相手を観察する力が身に付いたと思います。そのおかげか、幼稚園の頃から“優等生”タイプと言われるような子どもでした。

お母さまの働く姿を間近で見て、人との関わり方を早くから学ばれていたのですね。物おじせず、自分より目上の方と交渉できるのは、その影響もあるのでしょうか?

そうかもしれません。それに、小学生の頃からずっと母に言われている言葉が、今も心の支えになっています。“出る杭は打たれるけど、出すぎた杭は打たれない”という、経営の神様・松下幸之助さんの名言です。家の壁にも貼られていて、まるで家訓のようでしたね。この言葉によって、へこたれない精神と、行動する勇気が自然と根付いた気がします。

そのような環境の中で、学生時代はどんなことに打ち込んでいましたか?

小中高とバスケットボールに打ち込みながら、書道やピアノにも取り組んでいました。プロのピアニストを目指して頑張っていた時期もあったんですが、バスケに目覚めてからはそちらに全力を注ぐように。本気でバスケに向き合いたかったので、中高では親元を離れて寮生活をしていました。部活をやるとなると親の送迎が必須だったこともあって、働いている母に負担をかけたくない気持ちもありましたし。早くから自立し、自分で決断する力が育ちました。

バスケ部のコーチによく言われたのが、「one of a kind=唯一無二の存在になれ」という言葉。横並びではなく、自分らしく挑戦することの大切さを教えてもらいました。“出すぎた杭になって、ハッピーになりたい”という精神は、ここでも育まれたと思います。

モヤモヤを抱えたら、まず動いてみる。
“行動する”ことで、前に進み続けたい

新卒の頃、性別を理由にした悔しいご経験もありましたが、その後働く中で、性別や年齢によって感じた変化や壁はありましたか?

かつて見られた“女性はお茶汲みや付き添い要員”といった役割意識は、今の職場では見かけません。最近では、外部の会社の経営者や役員の方からも「女性社員が優秀だ」という声を聞くことが増えましたし、実際、管理職の女性も確実に増えています。もちろん企業や地域によって差はありますが、全体として時代は変わってきていると感じます。

それでもモヤモヤや迷いを感じたとき、どんなふうに向き合っていけばいいと思いますか?

まず、“なぜモヤモヤしているのか”を言語化してみること。評価されないと感じるなら、その理由を聞いてみる。パワハラやモラハラなど深刻な場合は別ですが、何も行動を起こさないまま悩み続けても、状況は変わりません。話しても変わらない環境なら、離れるのも立派な選択だと思います。行動することでしか、モヤモヤは晴れません。実際、私自身もモヤモヤを感じたときには行動してきました。たとえば、大学進学で東京の大学を選んだのも、高校時代に感じたジェンダーギャップをもっと知りたいと思ったからです。

行動の力を信じられるのは、Hさんご自身がそれを体現してきたからですよね。

“出る杭は打たれるけど、出すぎた杭は打たれない”。母から教えてもらったこの言葉が、ずっと心の支えです。小さい頃からこの言葉を見て育ったので、“打たれるなら、もっと出よう”と自然に思えるようになりました。これから先、心が折れそうな経験をすることがあるかもしれませんが、行動すれば必ず何かが変わると信じています。

そして、もう一つの支えが“雑草魂”。どんなときも粘り強く、雑草でも花を咲かせる気持ちで前に進みたい。どんな環境でも、自分の花を咲かせられる人間でいたいと思っています。

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