このページの本文に移動
みんなの人生ピカっとのぞき見! Vol. 12

地元暮らし×キャリアのモヤモヤ! 生きづらさを感じ離れた地元にUターン。価値観が変わるきっかけは?

新潟県南魚沼市に生まれたOさん。中学卒業のタイミングで親元を離れ、新潟市内の憧れの高校へ。大学は故郷を離れ、関東に進学。卒業後は海外ボランティアとしてヨルダンに渡航し、現在は故郷にUターンしてNPO法人で働いています。地元に生きづらさを感じて故郷を出た彼女が、なぜ再び地元に戻ってきたのか。そこには、広い世界を見たからこその“気付き”がありました。

SHARE
X
facebook
LINE

PROFILE

O.Aさん

28歳

幼少期からダンスに親しみ、高校時代は新潟市内の強豪ダンス部に所属するため下宿生活を送る。埼玉の大学に進学後、ダンス部での経験から一度は挫折を味わうが、カンボジアでの海外経験をきっかけに国際協力への道を見出す。大学卒業後、コロナ禍で一時帰郷し中学校教員を務めた後、ヨルダンで2年間子どもたちに体育を教えるボランティアに参加。2024年6月より地元・新潟県南魚沼市に戻り、芸術祭を運営するNPO法人で広報として勤務している。

高校進学で地元を離れ下宿暮らし 
生きづらさから逃れ、行き着いた新天地

現在、地元である新潟にUターンされてお仕事をされているということですが、地元を離れたタイミングはだいぶ早かったそうですね?

はい。初めて家を出たのが高校生になったときで、下宿しながら新潟市内の高校に通っていました。その後は関東の大学に進学し、卒業後は海外協力ボランティアとしてヨルダンに2年間滞在をしたのですが、昨年再び地元に戻ってきました。現在は、とあるNPO法人に所属して、地元で開催されている大規模な芸術祭を「広報」として支える仕事に取り組んでいます。

地元を出ていた期間が長いのですね。高校生で親元を離れるのは簡単にできることではないと思うのですが、なぜ新潟市内の高校に進学されたのですか?

1番の理由は、ダンスです。父親に連れられて地元のダンススクールの体験教室に行ったのがきっかけでダンスが好きになり、結局そのスクールには4歳か5歳くらいのときから中学3年生まで通っていました。進路を本気で考え始めたのは、中学2年のときです。“ダンスをやるんだったら本気でやりたい”と考えたときに、地元のスクールに通い続けるだけでは、将来の姿がどうしても中途半端にしか描けず……。新潟県にはダンスの強豪校が多く、次第に“レベルの高い環境でダンスができる高校へ進学して、さらに上を目指したい”と考えるようになりました。

“夢を描くには地元じゃダメだ”という思いがあったんですね。

はい。ダンスの件に限らず、正直地元には、ネガティブな印象しかありませんでした。私の地元は本当に雪深い地域なのですが、それが当時の私にとってはコンプレックスで(笑)。中学生の時点の価値観では、地元は“何もないところで雪だけある、面白くない、閉鎖されたところ”というイメージでしたね。また、自分が大人びていたのか、地元の同級生と話が合わないという悩みはずっと抱えていました。それに父親が、おそらく進学先になるであろう高校の体育の先生をしていて、それも嫌でした。コミュニティが小さいので、「O先生の娘」として見られることがやっぱり小さいときからあって、その生きづらさも感じていたと思います。進学のことで両親に思いを打ち明けると「やってみたら?」と背中を押してくれたので、地元を離れることを視野に、学校探しを始めました。

貫いてきたダンスの道で大きな挫折 
海外での出会いが再起のきっかけに

実際に新潟市内の高校に進学してみて、いかがでしたか?

雪が地元ほどひどくは降らないので長靴も履かなくていいですし、新潟市に住む「シティーガール」になった気分で、とても楽しかったです(笑)。

ダンス部は強豪校だけにスパルタ。オフは年間数日ほどしかないくらい練習漬けの毎日で、最初は正直、辞めたくなるほどつらかったです。けれども“家を出てまで来たのだから、今辞めるわけにはいかない。この選択を正解にしよう”と心に決め、踏みとどまりました。支えになったのは仲間の存在です。つらいことがあっても愚痴を言い合える相手がいるのは心強く、同じ時間を重ねるうちに絆が深まり、次第に“仲間のために頑張ろう”と思えるようになりました。そこから、部活そのものが楽しくなっていきましたね。

高校卒業後は関東の大学に進学されたとのことですが、実家に戻ったり、新潟にとどまったりする選択肢はありませんでしたか?

ありませんでしたね。むしろ、“せっかく地元を出たのだから、今更引き返したくない。もっと広い世界を見たい”と思い、先生の勧めもあって、推薦入試でダンスに強い大学へ進学しました。ですが、実際に入ってみると高校時代の比じゃないくらい過酷な世界で……。練習時間がとにかく長く、時には朝3時までミーティングが続くことも。それまでは“自分で決めた道だから負けてたまるか”という感じで生きてきましたが、体と気持ちがついていかなくなり、このままではダンスまで嫌いになってしまいそうだったので、申し訳ないのですが1年で辞めさせてもらいました。

それは肉体的にも精神的にもつらい環境ですね……。その後、どのように気持ちを立て直していったのでしょうか。

部活にこだわらずワークショップに参加するなど、ダンスの続け方を別の方法に切り替えることにしました。ちょうど部活を辞めた直後、教養学部の授業でカンボジアに行く機会があり、“これまでと違う世界を見たい”と思い切って参加したことも大きな刺激になりましたね。現地では、子どもたちに理科を教える海外ボランティアの方々と出会い、教育の立場から国際協力に関われると知って、目からうろこでした。ならば、自分のダンスのスキルも誰かの役に立てるかもしれない。そう感じ、大学卒業後は海外ボランティアとして活動したいと思うようになりました。

どんなに苦い思いをしても、すぐに頭を切り替えて、行動に移されてきたのですね。なぜ、そのように行動できるのでしょうか。

確かに自分でも思い切りがよすぎるな、と思うことはあります(笑)。でも、考える前に行動する、行動してから考えるというのが、昔からの私の性分なんです。せっかちなんですよね。自分の理想通りにならなかったとしても、行動をせず、その場にとどまってしまうことの方が不安です。何か悩みがあっても、1人で悩んで煮詰まるのではなく、すぐ周りの信頼できる友達に相談するようにしてますし、今いる場所に生きづらさを感じるようになったら、ちょっと旅に出たり、引っ越したり、環境を変えることで解決してきました。結果的に、そういった行動が全て私の背中を前に押してくれていた。これはただの偶然だと思うんですけど、そういった生き方が私には合っているみたいです。

地元は“狭い”世界ではない 
大人になったからこそ気づけた魅力

幼少期は地元に対してネガティブなイメージを持っていたそうですが、地元にUターンしたのはなぜでしょうか。

大学卒業後、ヨルダンに2年間派遣されることが決まったのですが、直前になってコロナ禍に入ってしまい……。渡航の予定は延期となり、すでに住む場所も引き払っていたので、実家に帰らざるをえませんでした。結果的に、ヨルダンへの渡航計画が再開するまでの1年間は実家に暮らしながら、地元の中学校で働くことになりました。しかし、この期間が私の地元へのモヤモヤを解消してくれたと思います。

というのも、最初は他に行く場所がないから仕方なく……という感じでしたが、久しぶりに実家に住んでみると、家族が「帰ってきた!」とすごく喜んでくれたんです。それが、私にとって純粋にうれしくて。おこがましいんですけど、親孝行というか“自分がここにいることが、家族のためになっているのかも”と思えたことが大きかったと思います。今までは“自分にとって楽しいか”が大きな判断基準となっていたのですが、“家族のため”を考えられるようになったのは、私にとって大きな変化でした。結果的に、改めて家族と一緒にいることの素晴らしさを実感することができ、ヨルダンから戻っても、再び地元に住みたいとまで思えるようになりました。

外の世界をいろいろ見てきたからこそ、気付くことも多かったのでしょうか?

そうかもしれません。特に海外ボランティアで2年間を過ごしたヨルダンは、文字通り“砂漠の国”、水がほとんどない地域です。もちろんヨルダンにしかない魅力もたくさんあったのですが、地元のよさに気付くきっかけにもなりましたね。ここ(地元)は水がとても豊富です。雪が降ったら雪かきをして、春になったら山菜が出てきて、田植えの時期になって、やがて稲刈りをして、お米をありがたいと思って食べるという、季節に沿って暮らすことの素晴らしさ。昔は雪がコンプレックスだったのに、今は四季を感じながら生きられることに幸せを感じています。

また、日本と異なる文化圏の人々と交流したことで、ものごとの考え方や価値観は人によって変わってくる、“絶対”というものは存在しない、と考えられるようにもなりました。1つの視点にとらわれないようになったことで、今までコンプレックスと感じていたことがコンプレックスでなくなったし、自分の中で視野が広がった気がします。地元を肯定できるようになった価値観の変化も、世界を見てきたからこそ起こったのかもしれません。

これまでキャリアを描いてきた中で、大切にされてきた考えはありますか?

広い世界でものが見られる場所に行きたいというか、いろんな価値観がある場を選んできた気がします。広い世界を見ることによって自分も成長できるし、いかに自分がちっぽけで何もできないかを実感することが、前に進むためのエネルギーになると思います。多様な価値観があるところに身を置きたいというのは常に思っていることです。

これまで地元は狭い世界だと私は思ってきました。確かに“世界”と比べると、物理的には狭い世界ですが、文化的には根が深く、広く張っていて、本当に追い付かないくらいやるべきことがたくさんあるように感じています。もちろん地元ならではの生きづらさが全て解消されているわけではないですし、この先ずっと地元にとどまるとも限らないのですが、今はこの土地に根を張って、アートとしてのダンスカルチャーの底上げなど、地元だからこそできることにチャレンジしていきたいと思っています。

SHARE この記事をシェアしましょう
  • X
  • facebook
  • LINE