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みんなの人生ピカっとのぞき見! Vol. 35

起業×別居婚のモヤモヤ! 妻と離れて子育てをしながら、副業として福祉事業所を運営

新卒で入社した会社に長年勤めながら、副業として、38歳で障害福祉サービス事業所を立ち上げたMさん。現在は埼玉の自宅に住むパートナーと別居し、事業所のある群馬で、一人娘を育てています。本業と副業を両立させながら、パパとしても奮闘。現在の家族の形に至るまでの葛藤、仕事や家族に対する思いについて、お話を伺いました。

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PROFILE

M.Kさん

40歳

群馬県出身。京都の大学で情報理工学を学び、新卒で大手IT企業に入社。SE(システムエンジニア)として開発業務を経験後、企画・デザイン職へ転身し、現在はサービスデザイナーとして勤務。私生活では6歳の長女を育てる父。2023年には、経営大学院での学びをきっかけに地元・群馬で障害福祉サービス事業所を立ち上げ、代表に就任した。現在は本業をリモートワークで継続しながら、福祉を通じた社会貢献と子育ての両立に日々奮闘している。

管理職としての立場に苦悩 
見えてきた本当にやりたいこと

現在、IT企業に勤めながら、副業として障害福祉サービス事業所を経営されているそうですね。福祉に興味を持ったきっかけは何ですか?

今の会社には新卒で入社したのですが、複数の案件を経験してプロジェクトマネージャーを任されるようになった頃から、ふと“このままでいいのかな?”という疑問が自分の中で湧いてきたんです。マネジメントに割く時間が増える一方で、プレイヤーとしての業務もこなさなければならない。忙しさが増すほど、時間や幸せが少しずつ奪われていくような感覚がありました。周囲の同じ立場の中間管理職を見ても、みんな疲弊していて、楽しそうには見えない。そんなふうに将来への違和感を抱えていた頃、業務内容がこれまでとはまったく異なるものに変わり、自分のスキル不足を痛感する出来事も重なりました。そこで“何かを変えたい、学び直したい”と思い、経営大学院に入学したんです。

そこではビジネスについて学びながら、“自分は何のために生き、何を成すべきか”ということを徹底的に考え抜きました。その結果、“単に稼ぐだけでなく、社会貢献を人生の軸に据えたい”という、本当にやりたいことも見えてきて。そんな折、娘の通っている保育園の近くで見かけたのが就労継続支援B型の事業所でした。聞きなれない名称だったので調べてみると、障害や病気のある人が働けるように支援を行う福祉サービスであることがわかったんです。“こういう形の社会貢献もあるのか”と興味を持ち、自分も同じような事業を始めたいと思うようになりました。

まずは社会貢献への関心から始まり、福祉というテーマにたどり着いたんですね。実際にはどういった形で事業に取り組んだのですか?

世の中にある格差課題の解決に少しでも貢献するためには、自分自身で起業するという形がベストだと判断しました。もともと、企業で働く中で自分の仕事が社会にどう役立っているのか実感を得にくいと感じていて、起業にも関心を持っていたんです。でも、本業と並行しながら事業を行うか、あるいは会社を辞めるか、正直そこはすごく悩みましたね。家族もいますし、やはり収入がゼロになるというリスクはなかなか取りづらい。3ヵ月ほど悩んだ結果、本業を続けながら副業として事業に取り組むという形を選びました。

副業として事業を始めるにあたり、どのように現実的な形に落とし込んでいったのでしょうか?

事業所の立ち上げにあたっては、フランチャイズを利用しました。専門的なサポートを受けられたことで、初めての起業でも挑戦のハードルを下げて踏み出すことができたと感じています。また、会社側と稼働率の調整などの交渉を行い、副業としての事業立ち上げの承認を得ました。事業所は当初、自宅のある埼玉県の浦和で開設する予定でした。ところが、さまざまな条件が重なった結果、実家からも近い群馬県伊勢崎市で立ち上げることになりました。現在は伊勢崎の事業所を主な仕事場としつつ、午前から昼過ぎまではテレワークで本業に取り組み、午後は福祉事業所の業務を進める形で両立を図っています。住まいについては、埼玉の自宅は残したまま、群馬の実家に身を寄せている状況です。

眠れない日々から学んだ 
周りに助けを求めることの大切さ

副業で福祉事業所を経営しながら、さらに子育てもされているんですよね。家事育児はご夫婦でどのように分担されているのですか?

もともと結婚するときに、「お互いに無理をせず、自由を尊重し合える関係でいよう」「子どもがやりたいことをできる環境をつくってあげよう」と夫婦では話し合っていました。そこで、事業を始めるタイミングでも、家族の暮らし方について話し合いをしたんです。妻はどちらかというと、家のことよりも仕事に注力してキャリアを優先したいタイプ。群馬に拠点を移す際も、妻は埼玉に残って東京での仕事を続けたいという希望があったので、僕と子どもの2人でこちらに来たんです。僕は基本的に群馬にいますが、子どもは定期的に埼玉の方にも行っていて、お互いがそれぞれに子育てをしている状況です。

お互いの話し合いの末に、現在の暮らしの形に追いついたということですが、1人で子育てをされるという状況はいかがでしょうか。

正直、大変ですね。本業と副業を抱えていると、どうしても子育てに割ける時間は限られてしまいます。保育園のお迎えに行った車の中や、家で絵本を読み聞かせているときに、気づけば子どもと一緒に自分も寝てしまっていた、なんてこともあります。

事業所の立ち上げ時は特に、法律面の知識不足や自分では解決できない課題が重なり……精神的にもかなり負荷がかかっていました。“このまま仕事と子育てを両立していけるのかな”と、夜も眠れないほど悩んだこともあります。

それでも、 “何でも1人で解決しようとせず、周囲のサポートをもっと頼ろう”と考えるようになってからは、少しずつ、抱えているものが回るようになってきましたね。例えば事業に関する法的な手続きは、専門家に任せるようにしていますし、子育てについても、保育園を活用するのはもちろん、実家にいる両親のサポートも受けています。どうしても預け先がないときは、自分が運営する福祉事業所に娘を連れて行くこともあります。そこではスタッフだけでなく、子ども好きの利用者さんたちが遊び相手になってくれることもあるので、助かっていますね。

家族が一緒に暮らす方法を探して 
壁に衝突しながらも前に進んでいく

お子さんが現在6歳ということで、来年は小学生になりますよね。今後の生活に関しては、どのように考えていますか?

子どもが小学生になったら、一度浦和の自宅に戻って、浦和から通勤する形で事業所の運営を続けていこうかなと思っています。住民票は浦和に残したままなので、手続き上の理由から、浦和の小学校の方がやはり通いやすいんですよね。ただ子どもに希望を聞いてみると、「ママがいる環境(浦和)もいいし、今の保育園(群馬)も好きだから、両方行きたい」とも話しています。

判断の軸としてあるのは、やはり“子どものやりたいようにさせてあげたい”という思いです。一方で、“自分は娘の本心をきちんと聞き出せていないのでは”という不安もありますね。妻と離れて暮らすことになったときも、それ以降も、娘は「寂しい」とか「埼玉に帰りたい」といったことをまったく言わないんです。「ママと一緒に住みたい?」と聞いても、なかなか答えてくれない。子どもなりに遠慮している部分があるのかもしれないと思うと、少し申し訳ない気持ちになります。

仕事も子育ても、少しずつ形が見えてきた今、Mさんが向き合っていることや、これからに向けて考えていることはありますか?

いろいろありますが、やはり僕としては夫婦で一緒に暮らしながら子どもを育てていくという環境が理想だと考えていて。だから“キャリアを追い求めたい”という妻の意向を尊重しながらも、家族で暮らすためにどうしたらいいかということに悩んでいます。

また、本業と副業という二足のわらじを、いつまで続けるべきかという迷いもありますね。子育てと仕事を両立するだけでも本当に大変なので、仕事をどちらかに絞った方がいいのかもしれない、と考えることもあります。ただ、福祉事業は自分が好きで始めたことですし、IT企業の仕事も、大企業に所属しているからこその出会いがあり、かつ先端技術にも触れられるので、すごく魅力的なんです。それを手放すことには、まだ強い葛藤がありますね。

もう一つ気がかりなのが、一緒に住む両親のことです。現在は2人とも健康上の大きな問題はありませんが、年齢はもう70歳前後。将来的な介護問題についても気になってはいるのですが、具体策がないまま頭の片隅に不安がずっとある状態です。

最後に、Mさんの今後の展望について教えてください。

伊勢崎市で事業を続ける中で、行政や地域コミュニティとのつながりが深まってきています。今後、家族の気持ちや状況に合わせて住まいは変わっていくかもしれませんが、これからも伊勢崎市を拠点に、一過性の活動ではなく、地域の中で価値を発揮し続けながら、社会貢献を継続できる形をつくっていきたいなと思っています。

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