将来の夢×けがのモヤモヤ! 2度の大けがで閉ざされたプロへの道。それでも競技を続ける理由は?
子どもの頃からサッカーに熱中し、プロ選手を夢見てひたすらボールを追い続けたIさん。選手生命を左右する大きなけがを2回も経験しますが、それでも道を諦めず、現在は社会人サッカーチームに所属し、若き主将として活躍しています。絶望から、はい上がれたその原動力は何だったのか、苦闘の連続だったこれまでのサッカー人生を振り返っていただきました。
PROFILE
I.Tさん
25歳
山形県出身。幼少期からサッカーに打ち込み、中学・高校ではプロサッカークラブの下部組織に所属する。新卒で日用品メーカーに入社し、入社3年目の現在はEC営業に従事。人生で2度の前十字靭帯断裂という大きなけがを経験するも、先輩の誘いを機に社会人サッカーのチームへ加入し、現在は主将を務める。仕事と競技の高度な両立を実践し、関東リーグ昇格と次世代の目標となる存在を目指し邁進している。

高校2年生の冬に左膝を負傷
チャンスを前に“絶望”を味わった
現在は社会人サッカーとお仕事の両立に取り組まれているということですが、もともとサッカーはどのような経緯で始めたんですか?
父も2人の兄もサッカーをやっていたので、物心ついたときにはもう自分もボールを蹴ってましたね。小学1年生で小学校のスポーツ少年団に参加して本格的にサッカーを開始。小3で地元のクラブチームに入って、さらにのめり込んでいきました。幼稚園の頃からプロのサッカー選手や日本代表の姿を見て憧れを抱いていたので、その当時から既にプロ志向はあったと思います。そして中学生になったタイミングで、地元のプロサッカークラブの下部組織であるジュニアユースクラブに所属。200、300名の応募がある中で18人しか入れないという狭き門でしたが、なんとか突破することができたんです。トップレベルの選手たちと一緒にサッカーができる、そして元プロだった選手から直接指導を受けられる、本当に理想的な環境でしたね。ただ、高校生になってジュニアユースからユースに移ったタイミングで、大きな試練に直面することになりました。
それまでは順風満帆なサッカー人生という印象ですが……何があったのでしょうか。
高校2年生の11月に他の選手との接触で、左膝の前十字靭帯を断裂したんです。けがをした後すぐに病院に搬送され、MRIで撮影すると、靭帯が切れていることが判明。負傷して1ヵ月後には手術をし、約1年間のリハビリ生活を経験しました。もちろんサッカーをできる状態ではなかったのですが、監督の配慮もあり高校最後のホーム試合で数分間のみピッチに立つことに。高校3年生での公式戦出場はこの数分だけとなりました。
選手生命を左右するような大けがを負ってしまったのですね。サッカーのできない期間は率直にどのような思いでしたか?
けがをしたときはちょうど自分のコンディションがよくて、やっと試合にスタメンで出られそうというタイミングだったので、めちゃくちゃ落ち込みました。“なんでこの時期にやってしまったんだろう……”と。でも、1週間、2週間もたった頃にはもう復帰することしか考えていなかったですね。やっぱり周りの選手が試合に出て活躍しているところを見ると悔しいんですよ。リハビリにも“絶対見返してやる”という気持ちで取り組んでいました。
就職かプロへの道か
最後まで粘った大学最後の1年
想定外のことが起きる中で、高校卒業後の進路はどのように考えていたのでしょうか?
仲間の中には、ユースからそのままプロ契約をつかむ人もいました。でも自分はけがの影響もあり、それは難しいだろうと。そこで、大学を経由してプロを目指す道を選びました。進学したのは神奈川にある大学です。サッカーの強豪校として知られていたのですが、ありがたいことにユースの監督の紹介があり、指定校推薦で入ることができました。
リハビリのおかげでコンディションはかなり戻っていたのですが、体のバランスが崩れていたせいか、サッカー部に入部した後も、何度かけがを繰り返しました。さらに大学3年生のときには、右膝の前十字靭帯を切ってしまって。それもなんと、リーグ戦最終節の前日の練習だったんです。当時、部員が120人ほどいる中で、ようやくメンバー入りできるかもしれない、そんなタイミングでした。
まさに“これから活躍できそう”というタイミングだったのですね。
この世の終わりなんじゃないかというぐらい絶望しました。挽回してやるぞという思いで挑戦していたのに、またチャンスの目前でけがをしてしまって、“僕の人生って本当になんなんだろう”って思いましたよ。
そんな状況でも、やっぱり“悔しさ”が原動力になりました。僕、基本的に負けず嫌いなんですよね(笑)。サッカー部員で寮生活をしていたので、隣で飯を食っている同期が、もうプロになることが決まっている。そんな環境だったんです。どうしても悔しくて、“負けたくない”という気持ちが湧いてきて……。それに加えて、家族、特に父と母は、小学校の頃からずっと応援してくれていたので、“支えてもらってきた分はちゃんと結果を残して見せたい”、そんな思いも支えになりました。
一般企業に就職して社会人サッカーに進む道は、その頃から考え始めていたのでしょうか。
いえ、その時点では社会人サッカーは頭になくて、プロの道もまだ諦めていませんでした。“この状況でも、頑張ればプロに入れる可能性はゼロではない”。そう思っていたんです。だからこそ、進路は早めに固めておいて、大学4年生の1年間はサッカーに専念しようと考えました。実際、早めに就活を始めて、大学3年生の2月には今の会社から内定を頂いています。まずは心置きなくサッカーに取り組める環境を整える。そして、もしプロに行けそうなら内定を辞退してサッカーの道へ進む、そのつもりでした。
苦闘と葛藤の末にたどり着いた
大人が本気になれる場所
その後、就職の道を選ぶことになった経緯について教えてください。
大学4年生の12月頃、プロチームの「セレクション」というスカウトの場にも行きましたが、結局僕に声はかかりませんでした。そんなときに、社会人サッカーチームに所属する、ユース時代の先輩が練習に誘ってくれたんです。正直、それまで社会人サッカーに対して、“学生時代ほどサッカーに集中できない環境なんじゃないか”というイメージを抱いていました。ところが、実際に彼らの練習会に参加してみると、印象は一変。めちゃくちゃ本気度が高くて、仕事をしながら大学の部活と変わらない熱量でサッカーをしていることに感銘を受けました。それが、就職して社会人チームに入るという道を選んだ決め手になりました。
社会人チームに入ってからまもなく4年目を迎えますね。現在、お仕事との両立はどのようにされていますか。
今のところサッカーには週5で取り組んでいます。火・水・木は仕事終わりに練習があり、仕事が休みの土日も練習または試合をしています。つまり1週間中、1日もオフがないという生活をずっと続けている感じです(笑)。多忙ですが、とても充実していますよ。コンディションも、まったく問題がないというわけではありませんが、体のケアもしっかりと行うようにしているので、大きなけがは少ないです。
社会人サッカーは、実際にやってみて初めて分かる魅力がたくさんあります。例えば、いい年をした大人が一緒に汗をかき、試合後には抱き合って勝利を喜び合う。そんな体験は、ふつうの社会人生活ではなかなか味わえません。また学生時代と違って、年齢も職業もさまざまな人と関われるのも大きな魅力です。異なる業界で働く仲間と出会ったり、人生経験の豊かな先輩からアドバイスをもらったりする中で、自分の視野が広がっていく。そうした経験も、社会人サッカーならではの面白さだと思います。
なんと、現在はチームでキャプテンも務められているそうですね。リーダーとして、今後チームをこう率いていきたいなど、目標はありますか?
個人としてもチームとしても、まずは関東リーグ昇格が目標です。昨季はあと一歩で逃した分、その悔しさを力に、今度こそ本気で勝ち取りたいと思っています。さらに将来的には、チームの拠点の街にJリーグクラブをつくることも大きな夢です。会場設営や集客に奔走してくれるスタッフ、応援してくれるファンや街の人たちのために結果を出すのが選手の責任だと感じています。その責任を胸にストイックに取り組み、挑む姿を子どもたちに見てもらうことで、“自分もああなりたい”と思ってもらえる存在になれたら、なおうれしいですね。
“プロになりたい”という自分の目標を追求するのではなく、誰かのために頑張れるようになったのも社会人サッカーを始めてからの大きな変化かもしれません。
いろいろな苦労を経て、現在はとても充実されているようですね。
そうですね。でも、けがが多いだけに、“いつか全力でサッカーができなくなる日が来るのでは”、という不安があります。もしサッカーが自分の人生からなくなったら、“自分が自分じゃなくなるんじゃないか”という怖さも正直あります。でも、いくら先のことを考えても、将来がどうなるかなんて誰にも分かりません。だからこそ、あとで後悔しないように、今できることを精一杯やることが大切だと思っています。
僕にとっての“後悔”とは多分、やりたいことを中途半端に終わらせたときに生まれる感情です。自分がワクワクする方向へ信じて進んで、今を懸命に生きていれば、きっと将来はなんとかなる。いろいろあった中でもそう信じてきたから、サッカーを続けてこれました。これからも自分の素直な気持ちを大切に、生きていきたいですね。