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みんなの人生ピカっとのぞき見! Vol. 42

育児休業×Uターンのモヤモヤ! 子どもとの時間を大切に、地元・長野で実現したキャリア転換

スポーツ紙の記者として多忙な勤務を続けていたHさんは、第1子誕生を機に、家族との時間を大切にできる働き方へ、かじを切ることを決断。地元の長野へ戻り、地域の魅力を発信する仕事に就くとともに、第2子誕生時には育児休業を取得。好きな仕事を離れることに迷いがなかったわけではない。けれど今は家族と過ごす日々の中に、以前とは違う充実感と幸せを感じているといいます。

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PROFILE

H.Yさん

34歳

長野県出身。大学進学を機に上京。2014年に卒業後、記者としてスポーツ新聞社に入社。赴任先の北海道で現在のパートナーと知り合い、2020年に結婚。第1子の誕生を機に、30歳でキャリアチェンジするとともに地元である長野へUターンし、現在は公務員として地域の魅力発信を行う。第2子出産時に1ヵ月の育休を取得し、育児に向き合う。パートナー、4歳の長女、生後9ヵ月の次女の家族4人暮らし。

“家族と一緒に過ごす時間を増やしたい” 
思い切って決断した異業種への転職

まずは、スポーツ新聞の記者からキャリアチェンジした経緯を聞かせてください。

もともと学生時代に公務員になろうと思っていたんです。でも、卒業が近づくにつれ、“まだやり残したことがあるんじゃないかな”と思い始めたんですね。高校まで野球をやっていたので、スポーツに携わりたいという気持ちがあったんです。また、読書が好きで文章を書く仕事への憧れもあったので、新卒の際は最終的に新聞社を志望しました。

スポーツ紙を扱う会社に就職して、東京で3年勤務した後、転勤先の北海道で妻と出会い、結婚しました。そして、会社から「北海道で3、4年勤めたら、また東京勤務を予定している」と言われていた中で、長女を授かりました。妻と話し合ったところ、「見ず知らずの東京で子育てをすることに不安がある」と。当時の僕は、夜遅くまで勤務する日があり、プロ野球のキャンプ取材で1ヵ月家を空けることもありました。仕事のスケジュールが前日になるまで分からない、そんな働き方をしていたんですね。個人的には好きな働き方でしたが、家族との時間を確保することがなかなか難しく、妻と相談して転職することにしました。

そうだったんですね。転職にあたり、改めて公務員を選んだ理由は?

一番の理由は、土日は休みで家族と一緒にいられる仕事だからです。それに、父が県職員で、公務員という職業が身近でしたし、姉も民間から公務員に転職して地元に帰ってきていたこともあって、採用試験を受けてみようと思いました。勤務先は、子育てに安心という理由で僕の地元の長野か妻の北海道か、どちらかの実家の近くを考えていました。すると、長野の方で先に採用が決まって。妻が「いいじゃない、長野に行きましょうよ」と快く受け入れてくれたので、Uターン転職することにしました。

好きなお仕事だったスポーツ紙の記者を辞めることに葛藤はありませんでしたか?

それはやっぱりありましたね。記者の仕事は、キツいときもありましたが、非日常を感じられて楽しかったので。でも、30歳という、ある意味節目の年齢だったということと、長女を授かったことが区切りになりました。それに、先輩記者にはすごい方たちがいっぱいいて。“10年後の自分は、あの人と同じような仕事ができるかな?”とキャリアに悩んでもいたので、“思い切って環境を変えてみよう”という気持ちでしたね。

長女の出産予定が11月下旬だったので、11月の中頃に仕事を全部終わらせて、有給を消化しながら出産に立ち会い、そのまま退職しました。出産後は、妻の実家にお世話になりながら、義理のお母さんと一緒に子育てを勉強させていただきましたね。翌年の1月に僕だけ先に長野で働き始め、妻と長女とは3月から一緒に暮らし始めました。

スポーツ記者から公務員に転職してみて、いかがでしたか。

異世界に来た感じでした(笑)。広報業務と地域のPRをする部署に配属されましたが、最初の1、2年は使う用語も、何を指示されているのかもまったく分からず、“民間と公務員との仕事の違いは明確にあるんだ”と感じましたね。一方で、前職のスキルが生かせるところもあって。新聞社や雑誌の記者さんに対して、“こういう話を出したら面白がってくれそう”ということが分かったり、“今自分が住んでいる地域を別の地域の人にどう見てもらいたいか”という視点があったりとか、そういうところですね。

家族と向き合った1ヵ月間の育休で 
長女の「パパ嫌い」が「パパ大好き」に

転職して5年目の今、Hさんが望んでいた通り、子育てしやすい働き方は実現していますか?

実現していますね。まず、カレンダー通りに過ごせることが幸せで、先の予定が見えるから、旅行の計画が立てられるんですよ。前の職場だと現場を1人で担当していたので、子どもが急に発熱したときでも簡単には休めなかったんです。でも、今は朝に連絡を入れれば休むこともできます。そこの環境はすごく変わったなと思いますね。

2人目のお子さんが生まれるタイミングには、1ヵ月間の育休を取ったそうですね。仕事から離れることへの不安を感じたことは?

ありましたが、自分の中で折り合いがつく期間が1ヵ月で、妻の希望する期間もそれくらいだったので、妥当な期間だったと思います。1年取るとなったら、もっと不安だったかもしれないですね。

職場には男性育休を取得している先輩が多くいたので、僕も当たり前のように上司に相談しました。出産予定日の10日くらい前に全国テレビの収録があり、広報として僕がアテンドする予定だったんですけど、収録前日の夜に妻の陣痛が始まっちゃって。急きょ職場の先輩に連絡したら、「僕が全部引き受けますから、出産に立ち会ってください」と仕事を代わっていただいたこともありました。本当に周りの皆さんのおかげで実現した1ヵ月間の育休でしたね。

育休中はどんなふうに過ごしていたのでしょうか。

朝は上の娘にご飯を食べさせて、保育園まで送ります。その後は、妻と一緒にミルクを作ったり、洗濯をしたり。妻が家事をしている間に、屋外作業など体力的に負担がかかることをやっていました。夕方には娘を迎えに行き、全力で娘と遊んで、みんなでお風呂に入る。ご飯は妻か僕のどちらかが作るんですけど、あまりおいしいとは言えない僕の料理を、頑張って食べてもらっていましたね(笑)。普段できないことができるのが楽しくて、手のかかるメニューも作っていました。夜は8時頃にみんな一緒に寝て、めちゃめちゃ規則正しい生活でした。

それまでは、上の娘と過ごす時間があるようでなくて、「パパ嫌い」とか言われていたんですよ。育休当時は3歳でしたが、僕が家にいることで関係値が変わりました。職場復帰後は玄関で僕の帰りを待っていてくれたり、帰ってくると「パパー!」と駆け寄ってきてくれたり。妻が寝かしつけているときに「パパが帰ってこないのが寂しい」と言って泣くこともあったそうです。家族全体にとっても、僕の1ヵ月の育休は大きかったなと思いますね。

育休が明けて、職場に戻ってみていかがでしたか?

結果的にスムーズに戻れたのですが、“何か言われるんじゃないかな”とか、“仕事がたまっていないかな”など、育休明け直後は、それなりに緊張はしました。でも、“すごくあたたかいな”と思ったのが、一緒に働いている人から「育休お疲れ様でした」って言われたこと。むしろ僕から「休んですみませんでした」と言わなきゃいけないと思っていたのですが、「子育てを頑張ってきたんだね」とねぎらってくれて、“理解のある職場なんだな”と改めて思いました。その一言のおかげでスッと戻れて、また頑張ろうと思いました。

子育ても仕事も80点を目指しながら、
“周りの幸せ”を指針に生きていく

育休前と育休後で比べて、Hさんの中で起こった変化は?

“早く帰ろう”という意識が生まれましたね。育休前は、妻が夜どんな気持ちで育児をやっているかが、分かっているようで分かっていなかったんだと思います。毎日たくさんの家事を1人でこなして、子どものお世話をするってすごく大変で、そういうときに早めに帰って、上の子を抱っこするだけでも違うんだろうなと思いますね。

今後の仕事と家庭のバランスについて聞かせてください。

娘たちが大きくなったときに、“お父さんは仕事ばっかりで家にいなかったな”と思われたくないので、子どもと遊べるときは全力で遊んでいます。でも職場で、“あいつ、子育てを理由に全然仕事しないな”と思われたくはない(笑)。どちらも80点ぐらいを目指して、少し余白のあるバランスでいられたらいいなと思っています。

目標や挑戦したいことはありますか?

仕事面では、地元を多くの人に知ってもらい、“いいところだぞ!”と認知してもらいたいですね。東京の大学に通っていた頃、「地元に何があるの?」と聞かれても、胸を張れるものがあまりなくて……。でも、自分の娘や、この地域の子どもたちが県外に出て行ったときに、そういうふうになってほしくないんです。「僕の、私の地元にはこういうところがあって、本当にいいところだから遊びにおいでよ!」と胸を張って言えるような街や場所を作っていきたいですね。

父親としては、東京と比べると子どもの習い事の選択肢が少なくて、教育の機会が都会と違うと感じる部分は正直あります。それに、家は少し不便な場所にありますね。でも、だからこそ、この場所でしかできない経験をさせてあげたい。自然に恵まれたこの土地で育った感性を大切にしながら、他の場所でもいろんなことに挑戦できる子に育てたいですね。

Hさんが人生の岐路に立ったとき、判断基準にしていることはあるのでしょうか。

僕は基本的に、“どこでも何とかなるだろう”と思っているんですよ。仕事を決めるときは“楽しそうな方がいい”で選びましたし、Uターンするときは“妻が幸せな方がいい”で選びました。その時々によって、周りの人が幸せになる方、“何かよさそう”と感じる方を選び取って、裏付けは後からする。それから、“自分の好きなこと”については素直に飛び込んできたところもあるので、その感覚は引き続き大事にしていきたいですね。

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