結婚×婿入りのモヤモヤ! 結婚したら、夫と妻、どちらの名字にする?
高校時代から付き合っていた女性と22歳で結婚。両家の話し合いによって最終的には婿入り(夫側が妻側の名字を名乗ること)を決断しましたが、その過程では家族の在り方や名字の継承を巡る、さまざまな葛藤がありました。それぞれが異なる価値観を持つ中で、そのときの自分たちにとって最適な選択を模索したNさんとご家族。その経緯をお伺いしました。
PROFILE
N.Tさん
28歳
鳥取県出身。高校卒業後、大阪の美容系専門学校へ進学するも、中退。地元に戻ってフリーター期間を経たのち就職し、仕事が安定したタイミングで、高校時代から交際していたパートナーと結婚。6歳の長男と4歳の長女、2児の父。最近になって、製造系企業の営業職へと転職。現在は営業活動で必要となる製品知識を身につけるべく、準備期間として工場の現場に勤務している。

「結婚っていいものだよ」
上司の一言が決断のきっかけに
22歳でパートナーさんとご結婚されたということですが、その出会いは高校時代だったそうですね。どのような出会いだったのでしょうか。
妻とは高校1年のときに同じクラスになったんですが、当時はお互いにあまりいい印象を持ってなくて(笑)。何か具体的なきっかけがあったわけじゃなく、本当に見た目の印象だけで、“あいつチャラチャラしてるな”って、お互いに思っていたみたいです。高2で一度クラスが離れたんですが、高3でまた同じになって。時間がたったことで、その頃になると悪い印象も薄れていましたし、席が近くなったことをきっかけに会話が増え、むしろ印象は好転。放課後を一緒に過ごすようになり、それから交際が始まりました。
実際に話してみることで、誤解が解けたんですね。高校卒業後は、美容師を目指して大阪の専門学校に進まれたそうですが、その後なぜ地元に戻られたのでしょうか。
主に経済的な理由ですね。生活費や学費など、暮らしていくだけでもかなりお金がかかっていて、このまま大阪に住み続けるのは金銭的に厳しい状況になったんです。両親も援助を申し出てくれたのですが、親には迷惑かけたくなくて。進路に悩んでいたとき、遠距離恋愛をしていた当時の妻が「鳥取に帰っても、また美容師は目指せるよ」と言ってくれたんです。その言葉に背中を押される形で、鳥取に帰ることにしました。それから地元でフリーターをしながら、大阪の美容専門学校に再進学するための蓄えを作っていたのですが、結局、進学はせず就職。携帯ショップの店員として働くことになりました。就職して1、2年たった頃には昇進して役職に就きまして、給与も昇給し、段々と生活が安定していきました。結婚を考えるようになったのは、そのタイミングです。「結婚っていいものだよ」と上司から言われて、思い切ってプロポーズをし、OKをもらいました。“彼女とは、これからもずっと一緒にいるだろう”という確信は、もともと自分の中にあったので。
結婚をきっかけに気付いた“家”への思い
婿入りを決断した理由とは
実際にご結婚されてみて、生活はいかがでしたか?
いや、それ以前に、結婚に至るまでに紆余曲折がありまして……。結婚の挨拶で彼女の両親のもとへ伺った際、ご家庭の事情から「婿として、うちの家に入ってほしい」との希望をいただいたんです。僕はそのとき、“自分の名字が変わるくらいなら問題ないだろう”と軽く考えてしまい、「大丈夫ですよ」と二つ返事をしてしまいました。ところが実家に戻って両親に伝えると、思っていた反応とは違って、かなりびっくりされてしまったんです。特に母はショックだったようですね。
僕には大阪に出ている4歳上の姉がいるのですが、姉には家を継ぐ意向がなく。なので母としては、残された僕が跡取りになることを自然に考えていたようです。“名字を変えるというのは、家族から抜けるのと同じくらい重いことなんだ” “自分が継がなかったら、この家は途絶えてしまうんだ”、両親の反応を見て、改めてその重大さを思い知らされたんです。
そうだったんですね。ご両親の反応を受けて、パートナーさんとはどういう話し合いをされましたか?
両親の思いを聞き、僕自身も名字を変えることには慎重になりました。ただ、彼女も彼女で、自分の名字を残したいという思いが強く……。だから結婚はいったん延期にして、どうするべきかもう少し考えようという話になったんです。そんな矢先に、彼女の妊娠がわかりました。うれしさと同時に、“これは家族の形を早めに整えなければいけない”と思い、一転して、急いで話を前に進めることになったんです。
両家が集まっての話し合いは難しいものでしたが、最終的に、名字という形式にこだわることよりも、優先すべきは“生まれてくる子どもにとっての幸せ”ではないかという話になりました。いろいろな条件を踏まえた結果、“僕が婿入りすることが、子どもを育てる上で一番良い選択だ”と両家の意見が一致。そこでようやく、お互いの両親も納得の上での結婚がかないました。
とても難しい話し合いだったと思いますが、その結論はご自身としても納得のできるものでしたか?
最終的には、そうです。妻側の両親に挨拶に行ってから結論が出るまでの1ヵ月間は、本当に身を削る思いで悩みました。ただ、自分たちのことだけでなく、“生まれてくる子をどう幸せにするか”という視点で、家族みんなが同じ目標に向かって考えられるようになったことで、少しずつ話がまとまっていき、結果として、僕自身も子どものために納得して「婿入り」を決断することができました。
その後、2人の子どもに恵まれ、今は妻の実家の近くに家を購入して、4人家族で暮らしています。僕の実家にも子どもを連れて定期的に帰省するようにしていて、僕が動けないときは、妻一人で子どもたちを連れて行ってくれることもあります。孫がかわいいのか、両親は会いに行くたびに大喜びしてくれて、その姿を見るのが僕にとっても、本当にうれしいですね。
育児に関わることで芽生えた
“家族の一員”という意識
お子さんが欲しいという気持ちは以前からあったのでしょうか。
はい。特に子どもへの憧れが強くなったきっかけは、妻と僕の共通の同級生の存在だったと思います。友人の中でもいち早く結婚し、子育てをしていて、そのお子さんを見て“かわいいな”“うらやましいな”と刺激を受けたんです。僕たちも結婚前から、「子どもってかわいいよね」「3人くらい欲しいね」とよく話していました。
ただ僕の認識が甘く、いざ生まれてみると、家事や育児をほとんど妻に任せきりにしてしまい……とてもつらい思いをさせてしまいました。仕事が忙しい上に飲み会も多く、毎日帰りが遅い。さらに出張で長期間家を空けることもありました。けれど今振り返ると、“仕事が忙しい”というのは単なる言い訳にすぎなかったと思います。当時の僕は、家事も育児も“妻の役割”だと、どこかで思い込んでいた節がありました。妻だって、産後に就職して、仕事をしながら家のことをしていたんですけどね……。そのような状況が数年間続いたことで、喧嘩が絶えず、交わす言葉も事務的なものばかりになり、幸せな会話はほとんどなくなっていました。
パートナーさんに相当な負担をかけてしまっていたんですね……。そこから、どうやって改善のために動き出すことができたのでしょうか。
このままでは良くないと思いながらも、どうしていいかわからず……。そこで職場の先輩に相談したところ、夫婦間のコミュニケーション不足を指摘されたんです。確かに、妻とはしばらくまともに会話ができていない状態ではありました。そこで、自分も改善のために頑張るから、一度きちんと話し合いたいと妻にお願いをしたんです。その結果、家事や育児の負担が妻に大きく偏っている状況を見直す必要がある、という認識で一致。改善策として当番制を取り入れ、子どもの送迎や通院の付き添いを僕が担当し、その他の家事全般にも積極的に関わるようになり、実際に妻の負担の軽減にもつながりました。
自分を省みて行動を変えるのは、簡単なことではないと思います。家事・育児に向き合うようになったことで、ご自身の中では何か変化がありましたか。
子どもと接する時間が増えたことで、“家族の輪の中に入れた”という感覚が芽生えました。例えば、子どもを病院に連れて行くと身長を測るじゃないですか。以前の僕は、子どもの背丈すら把握していなかったんです。でも実際に計測に立ち会うと、“うわ、こんなに大きくなったんだ!”と、成長を実感してうれしくなる瞬間があります。お箸の持ち方がきれいになったとか、できることが増えたとか、どんなに小さな変化も、“家族”としての喜びにつながります。このことに気付けたのが、とても大きかったです。
ライフステージごとに、さまざまな課題が現れますよね。それらをうまく乗り越えるためには、パートナーや周りの人と“よく話し合う”ということが本当に大事なんですね。
そうですね。きっとこれからも悩んだり迷ったりすることはあると感じています。特に今後考えたいのは両親のことです。まだどちらも60代で元気ではあるんですけど、体調を崩すことも増えてはきていて、将来的には親の介護にも向き合うことになるんだろうなと漠然と考え始めています。実際に、家族の中でそういった話が出ることもあるのですが、いざそういう状況になったら、どう動けばいいんだろうと不安はありますね。具体的なプランはまだないですが、妻とも継続的に話し合いを重ねながら、これまで通り一つ一つ解決していけたらと思っています。